_ 慣れですか。ストーリーよりも文体が気になってしまって楽しめない→読むのが苦痛→読まない、ので慣れるのは難しいかな・・・。気にならない人は気にならないのでしょう。シドニィ・シェルダンは読んだことないのですが「超訳」なら私は楽しめるかもしれません。今度チェックしてみようっと。
_ あの映画見た?とかあの本面白かったよ、とか昨日のドラマが、という話をする相手が誰もいないことにふと気付きました。頻繁に会う友達でも月に1回会うかどうかなのでデイリートピックよりもマンスリートピックが優先されてそういう細かいことは話さないので。ついでに何か嫌なことがあってもそれを説明するのが面倒で「色々あってさー」となり、どうでもいい会話術がうまくなってる気がします。でもそれすらどうでもいいので、胃はひどくならない。
_ スーパーコンパニオン・・・何がスーパーなんだろう(笑)
_ 臓器移植法、テレビとネットだけじゃ情報が足りない。やっぱり新聞を購読するべきか・・・。脳死を人の死とした場合、脳死判定が出たら延命装置(と言うのか?呼吸器とか)をつけ続けることができなくなるということ?それとも家族の意思と資金があれば、体の機能を生かしておくことができるの?今まで脳死だと判定されて、それでもまだ呼吸器をつけて寝ている人たちは、この法律が可決されたらどうなるの?
_ 0歳から臓器移植が可能になるということには賛成。今生きていて、意思表示もできて、助かる方法があるのに、死ぬのを待つだけというのは辛すぎる。そういう人達が助かるようになるのはいいことだと思う。では自分の子供が脳死と判定されたらどうするかと考えると、難しい。体は成長するけれど、自分ひとりでは何をすることもできなくて、もし親が先に死んだらその後どうなるのかとか、例えば奇跡的に意識が戻ったとして、自分ひとりで生きていくだけのお金を稼いで生活ができるのかと考えると、かなり難しいんじゃないかと思う。それでも生かしてあげた方がその子にとって幸せなのかな。希望がゼロでない限りできる限りのことをしてあげたいと、その時になったら私も思うのかな。
_ 25年くらい前、父が心筋梗塞で倒れて、三途の川を渡りかけたことがあった。結局こちらに戻ってきてくれて、今でもとりあえずは元気にしているけれど、長期に渡る闘病生活は本人も家族もとても負担が大きいことを身をもって知っている私は、自分自身は「体だけ生きている」状態にはなりたくない。治療ではない延命措置もしてほしくないし、できるだけ楽に死なせてくれればそれでいい。私がものすごくお金持ちで、使いきれないくらいのお金を持っているとしたら、考え直すかもしれないけれど、とにかく他人の手によって生きるのはお金がかかるのだ。自分が死んだ後にまで家族に苦労をかけて伸ばされたこの世での時間を、私が幸せに過ごせるとは、今の私には思えない。
# junko [今まで脳死だと判定されて、それでもまだ呼吸器をつけて寝ている人たちは、この法律が可決されたらどうなるの? ある記者..]